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おでかけ(宮城県) コラム

震災遺構大川小学校の現地に立ち「安全」を考える

東日本大震災から時がたち、被災地ではいくつかの場所が震災遺構として公開され、津波の恐ろしさが語り継がれています。

わたしもいくつかの震災遺構を回りましたが、今回は石巻市の大川小学校を見学してきました。

大川小学校は他の遺構とは違った目線で津波被害を考える機会となる場所です。



 

震災遺構 大川小学校

宮城県石巻市釜谷韮島94番地

震災遺構大川小学校
石巻市の大川小学校は2021年7月18日に一般公開されるようになった震災遺構です。

 

 

アクセス

石巻市ではありますが、大川小は石巻の中心市街地からは離れた場所にあります。

三陸自動車道河北ICから車で20分ほどの場所にあります。

仙台からはおよそ1時間15分ほどで到着できます。

駐車場は約50台分あります。



 

 

 

石巻市立大川小学校とは

大川小事故の概要

(画像:現地設置の大川小事故の概要)

 

石巻市立大川小学校は、東日本大震災の津波の際に児童74名、教職員10名が犠牲になった小学校です。

東日本大震災当時、各地の小中学校の多くは津波からの避難所として機能していました。

一方で、大川小学校も避難所に指定されていましたが、学校すべてが水没しました。

 

 

被害を受けた校舎の様子

大川小学校校舎
現在大川小学校の校舎は、周辺にフェンスが設置されていて中に入ることはできませんが、かなり近くで津波被害の様子を見ることができます。

 

 

大川小学校校舎
 

 

 

大川小学校校舎
 

校舎の屋根まで津波が到達しており、骨組みしか残っていないほど破壊されています。

 

 

大川小学校校舎
 

 

 

大川小事故を伝える大川震災伝承館

震災遺構大川小学校全景
大川小学校の敷地内に「大川震災伝承館」があります。

 

大川震災伝承館
 

 

 

大川小について伝えるパネル
 

ここでは大川小事故について伝えるパネル資料が展示されています。

 

 

伝承館内のパソコン
 

また、大川小学校の内部の様子を写真で見ることができるパソコンが設置されています。

 

展示物はそれほど多くはありません。

 

 

 

現地で改めて考えたい大川小"事故"

大川小では児童74名、教職員10名が「学校管理下」において津波の犠牲になりました。

地震発生から約50分の間、校庭で「待機」した後、避難をしている最中に津波に遭遇しました。

その避難しようとしていた場所も、川に近い高台であったということで、その判断が適切だったかどうかが裁判で争われました。

津波被害の概要

(画像:伝承館に設置の概要)

 

大川小事故の問題点として次のような批判があります。
  • 津波到達まで時間があったのに、なぜ避難せず「待機」していたのか
  • すぐ近くに山があったにも関わらず、なぜそこに行かなかったのか
 

子供たちは"先生の指示のもと"、校庭で待機をし、川へと避難して津波に遭遇しました。

ですから石巻市が責任を負うべきなのは当然だと思いますし、裁判でもそう判断されました。

 

ただ、最終的には現地にいた先生方の判断が悪かったことになりますが、一方でこれは非常に難しい判断でもあると思います。

 

 

 

大川小事故を考えるために参考になる資料

私はこの記事を書くにあたって、現地に行ったことに加え、以下の資料を調べました。

 

地元紙・河北新報

震災が起こってから大川小では何が起こっていたのかということと、その後の裁判の経過については地元紙の河北新報が「止まった刻 検証・大川小事」という連載を掲載しています。

それをまとめたものが書籍で発売されています。

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小さな命の意味を考える会

遺族の会が大川小事故について詳細に検証しているサイトです。

小さな命の意味を考える会

 

 

裏山には簡単に登れる

大川小のすぐ裏手には山があります。

そのため、ここに登っていれば命を落とすことはなかったと言われます。

大川小の裏山
 

 

 

 

 

 

津波到達点
山には「津波到達点」という看板が掲げられています。

 

これを見ると急傾斜にも見えますが、写真の左奥の方へ進むと、山へ登れる緩やかな傾斜があります。

 

 

実際に裏山へ

山に登ることはできたのかどうか、実際に私も登ってみました。

大川小裏山への傾斜
 

 

 

大川小裏山への傾斜
傾斜はゆるやかです。

 

 

裏山から大川小を望む
 

このように、カンタンにそれなりの高さまで登ることができました。

 

2009年まではこの先の山でシイタケ栽培の学習をしていたということで、低学年の生徒でも楽に登れる場所であったことがわかります。

 

子供たちを連れて山へ登ることは可能であったと言えるでしょう

 

 

 

なぜ先生たちは山に避難できなかったか

津波被害は未曽有のものでありましたが、

だからといって命が失われたのはしょうがないということにはなりません。

 

 

私たちは、目の前に山があるのに「なぜ避難ができなかったか」について考えを深める必要があります。

 

 

1.マニュアルなし・校長の不在

 

大川小では当日、校長が休暇を取っていて不在でした。

地震発生時はリーダー不在の中で先生方が判断せざるを得ませんでした。

 

そのような時はマニュアルによって行動することになりますが、大川小には津波避難のマニュアルがありませんでした。

 

大川小のマニュアルには「近隣の空き地・公園に避難」と書いてありましたが、近くには空き地も公園もありません。

(大川伝承の会リーフレットより)

 

 

また、

  • 震災2日前のやや大きな地震で津波警報が出た際、
  • 2010年にチリ地震津波による大津波警報が出た際
など、避難場所を検討するチャンスはあったものの、結論が出ないままにしていました。

 

 

 

2.地域に詳しい先生が少なかった

 

大川小学校の教職員13名のうち8名が大川小に赴任して1~2年でした。地域の特性について詳しい人は少なかったとみられます。

 

伝承館の模型

(画像:伝承館にある大川地区の模型)

大川小は海抜1mしかありません。

しかし、現地へ行ってみると、確かに北上川は近いですが、周囲は山が険しく、また海が見通せるわけでもなく、ここが海岸に近いという雰囲気はありませんでした。

大川小周辺
大川地区が「津波」をイメージしにくい場所であり、それは地元ではない先生方にとっても同じであったと思います。

 

 

3.地元住民の反対

学校は地域の避難所に指定されており、児童・教職員だけでなく、地域住民も避難してきていました。

 

教頭などは住民に「裏山は安全ですか」と尋ねていたそうです。

それに対して住民は山への避難を反対したという話もあります。

 

校長というリーダーが不在のなか、力の強い立場の人からの意見に反するのは難しかったと思われます。

 

 

4.山崩れの可能性も否定できない

 

なぜ山に避難しなかったかについては他に「裏山が崩れる恐れがあるため避難できなかった」とされています。

 

実際、裏山は2003年に崩れ、その後補強工事が行われていました。

 

 

また、東日本大震災の3年前、2008年には岩手・宮城内陸地震が起きています。

この時には宮城県の栗原市などたくさんの箇所で大規模に山が崩壊する様子が報道されました。

内陸地震の際のがけ崩れ

(画像:国土交通省のウェブサイトより

あれだけの大地震でしたから、このことが頭をよぎったということも考えられます。

 

津波警報は出ていましたが、「山が安全だ」と判断するのもまた難しかったものと思われます。

 

 

5.正常性バイアス

災害、事件、事故が起きた場合でも、事象を過小評価してしまう「正常性バイアス」という心理が人間にはあります。

正常性バイアス

正常性バイアス(せいじょうせいバイアス、英: Normalcy bias)とは、認知バイアスの一種。社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。

自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる。「正常化の偏見」、「恒常性バイアス」とも言う。

人間の心は、予期せぬ出来事に対して、ある程度「鈍感」にできている。日々の生活の中で生じる予期せぬ変化や新しい事象に、心が過剰に反応して疲弊しないために必要なはたらきで、ある程度の限界までは、正常の範囲として処理する心のメカニズムが備わっていると考えられる。

古い防災の常識では、災害に直面した人々の多くは、たやすくパニックに陥ってしまうものと信じられており、災害に関する情報を群衆にありのまま伝えて避難を急かすようなことは、かえって避難や救助の妨げになると考えられてきた。ところが後世の研究では、実際にパニックが起こるのは希なケースであるとされ、むしろ災害に直面した人々がただちに避難行動を取ろうとしない原因の一つとして、正常性バイアスなどの心の作用が注目されている。

出典: ウィキペディア(Wikipedia)

 

津波警報は出ていましたが、それと同時に

児童を校庭へ避難させる・落ち着かせる・保護者へ引き渡す、

避難してくる地域住民への対応

などの仕事が発生しており、50分はあっという間の50分であったのではないかと推察します。

 

津波を経験したことがない・学習したこともない人にとっては、大津波警報が出ようとも、「きっと大丈夫だろう」「大丈夫であってくれ」という思いで目の前の仕事をこなしていたのではないでしょうか。

 

判断できない時、「新しい情報を待とう」、「後で判断しよう」というような経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか。

 

大川小以外にも、地震発生後に校庭に待機し保護者への引き渡しを行っていたという学校が複数あります。

いわき市久之浜一小は(中略)「とにかく親は心配して、迎えに来るだろう」。教務主任だった大平雅嗣教諭はそう判断し、約200人の児童と教職員約20人を校庭で待機させた
しばらくして男性保護者が怒鳴りながら校庭に入ってきた。「こんなとこにいたら流されちまう。ここじゃ危ねえ。子ども連れて帰っから!」
一小は海岸から約750メートル、標高は6.8メートル。周辺は住宅地だ。「地震の揺れが収まれば、災害は終了という頭だった。保護者が何で怒っているのか理解できなかった」と大平教諭。ラジオを持ち出す発想はなく、情報は不足していた。次の行動が思い浮かばなかったという。

 当時の校長笠原桂樹さん(67)は近くの四倉小であった校長会に出席後(中略)午後3時15分ごろ、学校に着いた。
保護者の怒鳴り声を耳にした笠原さんは、「より安全な場所に移動し、そこで親に引き渡そう」と判断し、標高41.6メートルの久之浜中への避難を決断した。

河北新報 2018年6月13日の記事より引用

このように、大川小と似たようなシーンの学校もあります。

違うのは「避難を促してくれる人がいた」ということだけで、まさに運命の分かれ道と言えます。

 

大川小学校でも「津波が堤防を越えた」という広報車の呼びかけを聞いてやっと動き出しましたが、手遅れでした。

 

 

まとめ

大川小学校校舎
 
  • 津波警報が出たら高台へ逃げる
  • 周りのことなど気にせず逃げる
ということを多くの方が東日本大震災で学びました。

 

震災関連報道では助かった例が多く取り上げられる中、とりわけ大川小事故は避難の難しさを伝える事例です。

 

 

人の弱さにまで踏み込んだ防災学習を

  • 人は経験がない事態に遭遇すると、まずは様子見をしてしまう
  • 人は組織になると、和を優先してしまって自分で判断ができない
みなさんもそのような経験をしたことはないでしょうか。

 

「日本人は和を重視し、ルールを守って冷静に行動できる」と言われますが、大川小学校ではかえってそれが裏目に出てしまったケースと言えます。

 

大川小学校を訪問される際には、津波の威力だけでなく、「災害時の判断を邪魔するもの」にまで踏み込んで考えていただければと思います。

 

 

参考資料

地元紙・河北新報

震災が起こってから大川小では何が起こっていたのかということと、その後の裁判の経過については地元紙の河北新報が「止まった刻 検証・大川小事故」という連載を掲載しています。

それをまとめたものが書籍で発売されています。

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小さな命の意味を考える会

遺族の会が大川小事故について詳細に検証しているサイトです。

小さな命の意味を考える会

 

 

 

震災遺構大川小学校のウェブサイトはこちら

石巻市震災遺構大川小学校

 

 

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【子どもが思いっきり遊べる公園をたくさん知っています!】 仙台に住んでいる2児のパパ。休日は家族でおでかけ! 宮城・山形・福島、いろんなところに行きます!

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